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月華殿(げっかでん)・天授院(てんじゅいん) [好きな街(横浜)]

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 月華殿は1603年、徳川家康が将軍宣下を受けるために、伏見城に建てられ諸大名の控え室として使われました。伏見城取り壊し後は、宇治の茶の商人から寺院の客殿になりのちに、大正九年に原三渓が三渓園に移築しました。屋根は檜皮葺の入母屋づくり、檜扇の間には檜扇、竹の間には竹の絵が描かれています。欄間には狩野永徳の下絵の菊花の透かし彫りがあります。

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 心平寺地蔵堂は、三渓が1916年に鎌倉の心平寺跡にあった堂を自邸内に移築し、三溪園では「天授院」と呼び、原家の持仏堂として使用していたという。

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「心平寺」
建長寺が建てられた地は処刑地だったといわれ、処刑された者の鎮魂のために心平寺が建てられ、心平寺が創建された1249年に、建長寺の建立が計画され、建長寺の本尊が地蔵菩薩であるのは、心平寺の本尊が地蔵菩薩であったからだといわれています、建長寺仏殿の脇壇に安置されている地蔵菩薩坐像は心平寺のものと伝えられています。

神奈川県横浜市中区本牧
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臨春閣(りんしゅんかく)・旧天瑞寺寿塔覆堂(てんずいじじゅとうおおいどう) [好きな街(横浜)]

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 元々は紀州藩主の徳川頼宣の夏の別荘だったもので、紀ノ川沿いの景勝地に風の抜ける清々しい典雅な御殿として建てられ、移築された三渓園では、池のほとりに水面から浮かび上がるように瀟洒な姿を見せています。内部は狩野派を中心とする障壁画と繊細・精巧な数寄屋風書院造りの意匠を随所に見ることができます。

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 旧天瑞寺寿塔覆堂
豊臣秀吉が母のために建てた寿塔を覆うための建物で、現在、秀吉が建てたものと確認できる数少ないもので、長寿を祝って生存中にたてる墓で、現在、寿塔は京都大徳寺内の龍翔寺にあります。

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神奈川県横浜市中区本牧三之谷
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<ご参考>
経年劣化した臨春閣(第一屋、第二屋、第三屋)の屋根(こけら葺き、檜皮葺き)の修理。 
※第一屋及び第二屋:2018年11月上旬~2019年10月下旬。 
※第三屋:2019年11月上旬~2020年5月下旬。 
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御門(ごもん)・白雲邸(はくうんてい) [好きな街(横浜)]

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 建物内部は非公開、三溪が1920年に隠居所として新築した白雲邸は、簡素ながら選び抜かれた材料が用いられるなど、三溪の好みを伝える空間。

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 すっきりとした白雲邸の空間からは、「美術品や調度品を飾って楽しむための建物はあえて簡素に」という三溪のこだわりが伝わってくる。

神奈川県横浜市中区本牧
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鶴翔閣」(かくしょうかく) [好きな街(横浜)]

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 家族と暮らすための住まいとして1902年に建てられましたが、和辻哲郎や夏目漱石など、多彩な文化人が来訪し、安田靫彦(ゆきひこ)、小林古径、前田青邨(せいそん)ら新進気鋭の画家たちが古美術の鑑賞や勉強会に集いました。

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 客間棟には、横山大観らが滞在して制作した部屋が残されています。整然とした印象の一室ですが、当時、この棟の脇には使用人の控え室が軒を連ね、娯楽室ではビリヤードに興じることもできたとか。鶴翔閣を建てた頃、三溪は富岡製糸場をはじめ全国4か所の製糸所を譲り受け、事業をまさに軌道に乗せた時代でした。この本邸の建築を皮切りに、由緒ある古建築を移築するなど、三溪園の造成を本格化させました。

神奈川県横浜市中区本牧
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横浜 三溪園(さんけいえん) [好きな街(横浜)]

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 三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906年5月1日に公開されました。175,000m2㎡に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。

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 東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、三溪の手により1902年頃から造成が始められ、1914年に外苑、1922年に内苑が完成するに至りました。三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。

神奈川県横浜市中区本牧三之谷
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