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瑞巌寺(ずいがんじ)国宝・本堂 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十五番

神聖な石窟と伊達家の栄華

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 日本三景の一つである宮城県の松島にある「瑞巌寺」は、伊達政宗が創建。本堂は書院造で、単層入母屋造本瓦葺の巨大な屋根は壮観で、東北では数少ない国宝になっています。

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 総門は1609年建立された一間一戸袖塀つきの薬医門で、掲げられている大額「桑海禅林」は、瑞巌寺105世天嶺性空禅師の筆です。

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 洞窟遺跡群は松島を形成している第三紀凝灰岩層を掘った洞窟、松島のいたるところに見られ、江戸期に掘られた洞窟群と考えられています、洞窟内は塔婆・五輪塔・戒名等が無数に刻まれ、供養場として使用されていたことがわかります。

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 現在の五大堂は1604年、伊達政宗公が造営した、東北地方最古の桃山建築で、正面に掲げられている額には「五太堂」と彫られています。

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撮影:2007.09.17

JR仙石線、松島海岸駅
宮城県宮城郡松島町

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黒石寺(こくせきじ)岩手 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十四番

 薬師如来像に浮かぶ苦渋の色

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 729年東北地方初の寺院として行基が開いたとされるが、兵火により焼失、その後807年に坂上田村麻呂により再興され、849年円仁(慈覚大師)が中興して現在の寺号となったとされています。黒石寺蘇民祭は、奥州市水沢にある妙見山黒石寺にて旧正月7日に五穀豊穣、無病息災を祈って行われる、1,000年以上の歴史をもつお祭です。

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 蘇民祭(そみんさい)は、岩手県を中心に日本各地に伝わる裸祭りで、1000年以上の歴史を持つと言われています。岩手県内では毎年1月から3月にかけて複数の蘇民祭が行われ、岩手の蘇民祭の名称で国の選択無形民俗文化財で、その中で最も著名なものは日本三大奇祭ないし日本三大裸祭りの一つに数えられることもある奥州市の黒石寺蘇民祭です。

 2008年の奥州市が作成したポスターについてJR東日本が上半身裸で胸毛の濃い男性が大きく写っているデザインを問題視し、駅構内での掲示を拒否したことがニュースで取り上げられ、蘇民祭の知名度が全国的に上昇したことが有ります。

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撮影:2015.10.19

岩手県奥州市水沢黒石町
JR東北本線、水沢駅

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毛越寺(もうつうじ)岩手 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十三番

 壮大な伽藍の跡と老女の舞

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 毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。

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 日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園として、800有余年を経た現在も、四囲の樹木の景観と相まって、なお変わらぬ美しさを見せています。

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 池のなかでも東南岸にある荒磯(ありそ)風の出島は、庭園中最も美しい景観の一つです。水辺から水中へと石組が突き出し、その先端の飛び島には約2メートルの景石が据えられ、庭の象徴として池全体を引き締めています。

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 開山堂は毛越寺を開いた慈覚大師円仁をまつる堂です。大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像を安置しています。

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撮影:2007.09.17

岩手県西磐井郡平泉町
東北本線、平泉駅

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中尊寺(ちゅうそんじ)世界文化遺産 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十二番

 みちのくの黄金郷に鳴る青い鐘

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 慈覚大師開基の天台宗の名刹で、金色堂はじめ3,000余点の国宝や重要文化財を伝える、平安時代の美術工芸の宝庫です。寺伝によると850年、円仁(慈覚大師)が関山弘台寿院を開創したのが始まりとされ、その後859年に清和天皇から「中尊寺」の額を賜ったと言われています。しかし、円仁開山のことは、確かな史料や発掘調査の結果からは裏付けられず、実質的には12世紀初頭、奥州藤原氏の初代・藤原清衡が釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立したのが、中尊寺の創建と見られています。

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 本堂は、参道である月見坂を登った右手の中尊寺本坊内にあり、1909年の建築で2013年新本尊の丈六釈迦如来坐像の開眼法要が行われました。

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 覆堂(おおいどう)は、1962年金色堂の解体修理工事が始まるまでの約500年間、金色堂を風雨から守ってきた堂で、1964年に100メートルほど北西の現在地に移築され、建築年代は室町時代中頃と推定され、貴重な文化財や史跡等を風雨から保護するため、それらを覆うように建設された簡易な建築物です。

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 白山神社能舞台は、境内北方に位置する、中尊寺の鎮守・白山神社内に建ち1853年に仙台藩によって再建されたもので、近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとされ、日本の芸能史上貴重な遺構として、2003年に重要文化財に指定されています。

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撮影:2007.09.16

岩手県西磐井郡平泉町平泉
JR東北本線、平泉駅

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山寺(立石寺)やまでら [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十一番

 一人の僧がもたらした千二百年の法灯

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 比叡山延暦寺の別院として、貞観2年慈覚大師・円仁が開山した天台宗の名刹で、本堂にあたる根本中堂には、伝教大使、最澄が中国から比叡山に持ち帰ったとされる灯が、開山時に分けられた後、一度も絶えることなく千年以上の時を超え、今なお灯り続けている「不滅の法灯」があります。

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 せみ塚は、芭蕉の句をしたためた短冊を納めた記念碑で、芭蕉が山寺を訪ねてから62年後山形県村山市の俳人壷中(こちゅう)らが1751年建立したのがこのせみ塚です。

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 奥之院は通称で、正しくは「如法堂」といい、慈覚大師が中国で持ち歩いていたとされる釈迦如来と多宝如来の両尊を御本尊とする如法堂は、参道の終点にあるので「奥之院」と呼ばれています。

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撮影:2009.04.27


山形県山形市山寺
JR仙山線・山寺駅

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四天王寺(してんのうじ)大阪 [百寺巡礼(五木 寛之)]

関西 第六十番

 すべてを包みこむ「和宗」の祈り

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 593年、物部守屋と蘇我馬子の合戦に勝利したことを受けて、聖徳太子が四天王を安置するために建立したと伝えられる、日本初の本格的な仏教寺院です。その伽藍配置は大陸の影響を色濃く受けた「四天王寺式伽藍配置」といわれるもので、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式です。

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 中門は中心伽藍の南端、南大門の北に位置し、脇の間に伽藍の守護神である金剛力士 (仁王像)をまつっていることから俗に仁王門 と呼ばれています。東側が那羅延金剛力士、西側が密迹金剛力士で、大仏師松久朋琳・宗琳両師の作です。

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 講堂は経典を講じたり法を説いたりする七堂伽藍の一つのお堂です。講堂内陣は中央を境に、東を冬堂、西を夏堂と呼びます。冬堂には現世の人々の悩みや、苦しみを救う十一面観世音菩薩、夏堂には来世極楽に人々を導く丈六阿彌陀如来をお祀りしています。つまり、現世と来世の二世に亘り、人々を安楽へ導き給うようにとの願いが講堂には込められ、内壁には、郷倉千靭画伯による仏教東漸が描かれています。

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撮影:2012.10.25

大阪府大阪市天王寺区四天王寺
地下鉄谷町線、四天王寺前夕陽ヶ丘駅

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大念仏寺(だいねんぶつじ)大阪 [百寺巡礼(五木 寛之)]

関西 第五十九番

衆生のもとへ歩み寄る本尊

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 大念佛寺の開祖 良忍上人は、京都大原の来迎院・浄蓮華院を創建した方で、1117年阿弥陀如来から偈文(げもん)を授かり、融通念佛宗を創始しました。融通念佛宗の教えのひとつは、「一人の念仏が万人の念仏に通じ、自他の念仏が相互に融通して大きな力となる」というもの。これは、一人ひとりが個性を発揮して自分の力を尽くし、互いに個を生かし合うことで、調和のとれた世界を現出しようということであり、二十一世紀のキーワードである「共生」「共助」の考え方とも通じます。

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 五月一日から五日まで、多くの参詣者のもとで行われる「万部(まんぶ)おねり」は、大念佛寺の中で最大の伝統行事として知られています。僧侶たちが声明を唱え、雅楽が奏でる中、二十五菩薩を従えた阿弥陀仏のお迎えで極楽浄土へ往生するという、来迎図さながらのお練り供養が繰り広げられます。

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撮影:2015.04.06

大阪府大阪市平野区平野
JR大和路線、平野駅

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亀山本徳寺(かめやまほんとくじ) [百寺巡礼(五木 寛之)]

関西 第五十八番

往時の宗教都市の面影が生きる寺

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 本願寺8代目の宗主で中興の祖蓮如上人を開基とする浄土真宗本願寺派の寺で、2万平方mの境内に本堂・大広間蓮如堂・書院・庫裡など26棟もの建物が残り、西本願寺から移設された本堂の柱には新撰組が屯所として使っていた頃の刀傷が残つています。

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 本徳寺の本堂が京都の本願寺の北集会所としてあったころ、実際の新撰組によって占拠された史実が裏付けられており、「新撰組」のロケには最適であろう。「軍師官兵衛」も英賀門徒の攻防や石山本願寺の見立てで石山合戦が撮影されており、共に播州の真宗史とも深い関係がある。このような利用のされ方は、歴史的遺産の新たな活用として妥当な所で、最近は、姫路市も観光に注視した都市政策を進めており、旅行社によるロケ地巡りのツアーも組まれ、多くの来訪者が訪れているそうです。

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撮影:2012.12.17

ご参考 ロケや観光名所として
http://k-hontokuji.com/column/location-and-sightseeing/

兵庫県姫路市亀山
山陽電鉄 亀山駅

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鶴林寺(かくりんじ)加古川 [百寺巡礼(五木 寛之)]

関西 第五十七番

勇ましい聖徳太子と愛らしい聖観音

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 近畿地方に数多くある聖徳太子開基伝承をもつ寺院の1つで、太子建立七大寺の一つともいうが、創建の詳しい事情は不明です、平安時代建築の太子堂をはじめ、「あいたた観音」など多くの文化財を有し「西の法隆寺」とも称されている播磨地方有数の古寺です。

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 現在も主要な堂塔だけで16棟の大伽藍を有するが、鎌倉時代・室町時代には太子信仰の高まりもあって寺坊だけで30数箇坊以上を有する規模であり、寺領も2万5千石を有し、聖徳太子以来の法華経講讃の寺として繁栄し、戦国時代には近隣の書写山圓教寺が戦火に巻き込まれるなどしたが、姫路領主だった黒田職隆、黒田孝高親子の説得で織田信長派となり戦に巻き込まれず、当時の建築物が多数現存しています。

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 国宝の本堂は、入母屋造、本瓦葺き。堂内の宮殿(くうでん、厨子)の棟札銘から1397年の建築とわかり、内部の宮殿には秘仏の薬師三尊像と二天像を安置しています。

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 太子堂(国宝)は、本堂の手前右方に建ち、堂内には壁画の聖徳太子像があることから太子堂と呼ばれていますが、元来は「法華堂」と称された堂で、本堂手前左方に建つ常行堂と対をなしています。屋根板の鎌倉時代の墨書から1112年の建築と分かり、堂内には本尊釈迦三尊像を安置しています。

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撮影:2012.12.17

兵庫県加古川市加古川町
JR加古川駅

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善光寺(ぜんこうじ)長野 [百寺巡礼(五木 寛之)]

関東・信州 第五十番

 濁る川に生きる覚悟をする寺

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 信州善光寺は、一光三尊阿弥陀如来様を御本尊として、創建以来約千四百年の長きに亘り、阿弥陀如来様との結縁の場として、民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ています。本堂は仏堂の前面に長大な礼堂を配した撞木造と呼ばれる独特の構造を持ち、東日本最大の規模を誇る江戸中期仏教建築の傑作で、善光寺聖の勧進や出開帳などによって、江戸時代末には「一生に一度は善光寺詣り」と言われるようになって、より多くの参拝者が訪れます。

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 仁王門は1752年に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、現在のものは1918年に再建され、この門には善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。

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 善光寺山門は、1750年に建立されて以来、大勢の参詣者を本堂に迎え入れてきた歴史ある門で、修復完了を記念し、約40年にわたって中断されていた二階への登楼参拝を、2008年から再開いしています。

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撮影:2012.04.15

JR信越本線、長野駅
長野県長野市元善町

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