飯盛山 戸ノ口堰洞穴(とのぐちせきどうけつ)白虎隊士が飯盛山への抜け道として使った秘密の洞穴 福島 [思い出の写真をフォトムービーにして Ⅱ]
戸ノ口堰洞穴は、猪苗代湖から会津若松に水を運ぶ用水路の最後の関門で、飯盛山を掘り抜いた長さ150mの用水トンネルです。
1868年8月23日、戊辰戦争の戸ノ口原の戦いから敗走した白虎隊20名が、戸ノ口堰洞穴を抜け道として使ったことでも知られていますが、150メートルの用水トンネルを潜り抜けて、飯盛山から鶴ヶ城の様子をみた白虎隊士らは、すでに落城していると勘違いし自刃にいたります。
創建は室町時代初期1381~1383年に、石塚家、石部家、堂家家の3家が宗像三女神である市杵島姫命の分霊を勧請し社殿を建立したのが始まりと伝えられていますが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により正宗寺が廃寺となり社号を「厳島神社」に改名し郷社に列したそうです。
子護地蔵尊
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撮影:2023.05.26