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百寺巡礼(五木 寛之) ブログトップ
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三仏寺(さんぶつじ)国宝 投入堂 [百寺巡礼(五木 寛之)]

山陽・山陰 第七十一番

 役行者が建てた断崖の堂宇をめざして

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 役行者が開いたという天台宗の古刹で、奥の院「投入堂」は国宝に指定されており、断崖に立つその姿は壮観です。投入堂は、軽快な屋根の反り、堂を支える長短さまざまな柱の構成など、建築美の観点からも優れた作品で、国宝に指定されています。険しい行者道を登った先の、文字通り絶壁の中に建ち、参拝者は堂を斜め上方に見上げる地点まで行くことが出来ます。

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 文殊堂は室町時代後期の作で、奥の院への道筋の山中に建ち、従来桃山時代の建築とされていましたが、新たに1567年の墨書が堂内から発見されたことから、建築年代は若干上がるものと思われています。

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 観音堂は1648年に鳥取藩主池田光仲(徳川家康の曾孫)により再建されたもので、建物の大部分が洞窟に収まった配置で、前面1間分が崖地にせり出し崖造風になっています。参道は観音堂の外壁と岸壁との間を通過しますが、幅は人一人が通れる程に狭く「胎内めぐり」や「胎内くぐり」を彷彿する空間構成になっていて、三佛寺の奥の院である投入堂を迎えるにあたり、胎内を潜る事で新たに生まれ変わり肉体と魂を浄化する役割を持っていたと思われます。

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 元結掛堂は基礎石の上に直接柱を乗せ、正面には向拝を設け春日造風の建物です。

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撮影:2010.09.20

鳥取県西伯郡大山町大山
JR米子駅

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恐山(おそれざん)日本三大霊場 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第七十番

 北の山に死者の霊が帰る

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 862年に慈覚大師によって開山され、天台宗の修験道場として栄えましたが、いったん廃寺となり、14世紀に曹洞宗円通寺によって再興されました。風車がカラカラと回り、荒々しい岩場の合間から硫黄の臭いが立ちこめる様子は地獄で、宇曽利山湖をとりまく白浜は極楽に見立てられています。

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 恐山へ向かう道にある太鼓橋は悪人には針の山に見えて渡れないと言われ、橋のたもとでは奪衣婆・懸衣翁が待ち構えいます。

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 恐山霊場地獄巡り、恐山菩提寺の本草安置殿の奥に恐山霊場があり、荒涼とした真っ白い世界の所々から硫黄の蒸気が噴き出し、至る所に小石が積まれた小山が点在しています。

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 東日本大震災犠牲者追悼の為、極楽浜に建てられた地蔵菩薩像の背面には大小数十の手形が彫られておりきっと故人と同じ大きさの手形もあるはずです。

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 宇曽利湖畔のその場所は極楽浜と呼ばれ、その鮮烈な美しさがかえって不気味さを感じさます。

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撮影:2015.10.18

青森県むつ市田名部字宇曽利山
JR大湊線、下北駅

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長勝寺(ちょうしょうじ)津軽公のミイラ [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十九番

”じょっぱり”の地に立つ名刹

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 長勝寺は、津軽氏の祖である大浦光信の菩提を弔うため1528年に種里(鯵ケ沢町)に創建され、大浦城、堀越城、弘前城と大浦氏(津軽氏)の居城とともに移転し、現在地への移転は、弘前城築城に伴い城の南西に禅林三十三ヶ寺を移して長勝寺を惣禄としたことによります。

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 本堂は、1610年新たに造営され、庫裏くりは大浦城の台所を移築したとも伝えられています。

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 津軽家霊屋は長勝寺の境内のなかに、津軽藩藩主の津軽家の当主の霊屋が並んでいます。津軽家の祖で南部家から独立を果たした為信のものなど、豪華さはないけども立派な建物が5つあります。

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 津軽承祐公のミイラは墓地移転が行われた1954年に発掘されたが、発掘後空気に触れたためか徐々に腐敗が始まったため、永久保存処理を施して、長勝寺に1995年まで安置されていました。その後津軽家の要請により、火葬に付し墓地に収められたという、現在は承祐公のミイラの写真と、かつて収められていた棺を見ることができます。

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撮影:2015.10.17

青森県弘前市西茂森
JR弘前駅

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本山慈恩寺(じおんじ)東北屈指の巨刹 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十八番

 そこにあった信仰と新しい信仰

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 奈良時代天平年間に聖武天皇の勅命によって開基されたと伝えられている古刹で、江戸時代の寺領2800石余は東北随一で桃山様式、鎌倉様式などを残しています。

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 山門は1736年築造、3間1戸の楼門造で、入母屋造、八脚門で銅板葺。舞楽奏上の舞台とは山門から延びる渡り廊下によりつながり楽屋となっています。

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 本堂は1618年最上氏により築造、本尊木造弥勒菩薩、釈迦如来坐像、地蔵菩薩坐像、不動明王立像、降三世明王立像、木造騎獅文殊菩薩、木造騎象普賢菩薩、十羅刹女像、木造二天王立像、木造如来坐像及び両脇侍立像、木造如来立像、木造菩薩坐像、木造力士立像などを安置しています。

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 三重塔は、1608年築造されるも焼失、1830年に再建されています。

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撮影:2015.10.21

◆インターネットで拝観(Youtube)
本山慈恩寺 ~薬師三尊・十二神将 web拝観~

山形県寒河江市慈恩寺
JR左沢線、羽前高松駅

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白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)国宝 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十七番

 泥中の蓮の花のように

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 1160年徳姫という女性が発願し建立されたと伝わる御堂が国宝、堂内には、阿弥陀三尊、持国・多聞天王(国重文)が安置されています。現存する平安時代の阿弥陀堂が少ない中、浄土庭園も兼ね備えた、他に類を見ない御堂となつています。

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 阿弥陀堂は東・西・南の三方を池に囲まれ、正面に当たる南から中の島を経由して堂にいたる参拝道が設けられている。さらに北・東・西は山で囲まれており、阿弥陀堂を中心としたこれらの空間は平安時代末期に盛んだった浄土式庭園の様を成しています。

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 阿弥陀堂の内陣の須弥壇上には阿弥陀如来像を中心に、両脇侍の観音菩薩像と勢至菩薩像、ならびに二天像(持国天像、多聞天像)の5体の仏像が安置されています。

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撮影:2013.04.15

福島県いわき市内郷白水町
JR常磐線、内郷駅

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勝常寺(しょうじょうじ)大雪の中 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十六番

 庶民が慕った、最澄の好敵手

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 勝常寺は 807年、徳一によって開かれた東北を代表する古刹で、1200年の歴史と東北を代表する国宝及び国重要文化財があります。創立された当時は七堂伽藍が備わり、多くの附属屋、十二の坊舎、百余ヵ寺の子院を有する一大寺院であったと伝えられています。 仁王門には草鞋が奉納され、入ると右側に収蔵庫・経堂、左側に鐘楼、そして正面が薬師堂です。

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 徳一の創建とされる「会津五薬師」のうち中央薬師といわれる勝常寺の薬師如来と両脇侍は、仏都会津を象徴する仏像で、国宝に指定されていますが、訪れた時は拝観時期が終了していて次の開館は4月からと言うことでx、国宝の仏像には会うことが出来ませんでした。これだけ多くの平安初期の仏像が一ヶ所に保存されているのは我が国でも珍しく桜の咲くころにもう一度訪れて見たいところです。

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撮影:2015.02.13

福島県河沼郡湯川村
JR磐越西線、笈川駅

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瑞巌寺(ずいがんじ)国宝・本堂 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十五番

神聖な石窟と伊達家の栄華

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 日本三景の一つである宮城県の松島にある「瑞巌寺」は、伊達政宗が創建。本堂は書院造で、単層入母屋造本瓦葺の巨大な屋根は壮観で、東北では数少ない国宝になっています。

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 総門は1609年建立された一間一戸袖塀つきの薬医門で、掲げられている大額「桑海禅林」は、瑞巌寺105世天嶺性空禅師の筆です。

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 洞窟遺跡群は松島を形成している第三紀凝灰岩層を掘った洞窟、松島のいたるところに見られ、江戸期に掘られた洞窟群と考えられています、洞窟内は塔婆・五輪塔・戒名等が無数に刻まれ、供養場として使用されていたことがわかります。

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 現在の五大堂は1604年、伊達政宗公が造営した、東北地方最古の桃山建築で、正面に掲げられている額には「五太堂」と彫られています。

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撮影:2007.09.17

JR仙石線、松島海岸駅
宮城県宮城郡松島町

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黒石寺(こくせきじ)岩手 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十四番

 薬師如来像に浮かぶ苦渋の色

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 729年東北地方初の寺院として行基が開いたとされるが、兵火により焼失、その後807年に坂上田村麻呂により再興され、849年円仁(慈覚大師)が中興して現在の寺号となったとされています。黒石寺蘇民祭は、奥州市水沢にある妙見山黒石寺にて旧正月7日に五穀豊穣、無病息災を祈って行われる、1,000年以上の歴史をもつお祭です。

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 蘇民祭(そみんさい)は、岩手県を中心に日本各地に伝わる裸祭りで、1000年以上の歴史を持つと言われています。岩手県内では毎年1月から3月にかけて複数の蘇民祭が行われ、岩手の蘇民祭の名称で国の選択無形民俗文化財で、その中で最も著名なものは日本三大奇祭ないし日本三大裸祭りの一つに数えられることもある奥州市の黒石寺蘇民祭です。

 2008年の奥州市が作成したポスターについてJR東日本が上半身裸で胸毛の濃い男性が大きく写っているデザインを問題視し、駅構内での掲示を拒否したことがニュースで取り上げられ、蘇民祭の知名度が全国的に上昇したことが有ります。

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撮影:2015.10.19

岩手県奥州市水沢黒石町
JR東北本線、水沢駅

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毛越寺(もうつうじ)岩手 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十三番

 壮大な伽藍の跡と老女の舞

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 毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。

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 日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園として、800有余年を経た現在も、四囲の樹木の景観と相まって、なお変わらぬ美しさを見せています。

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 池のなかでも東南岸にある荒磯(ありそ)風の出島は、庭園中最も美しい景観の一つです。水辺から水中へと石組が突き出し、その先端の飛び島には約2メートルの景石が据えられ、庭の象徴として池全体を引き締めています。

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 開山堂は毛越寺を開いた慈覚大師円仁をまつる堂です。大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像を安置しています。

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撮影:2007.09.17

岩手県西磐井郡平泉町
東北本線、平泉駅

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中尊寺(ちゅうそんじ)世界文化遺産 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十二番

 みちのくの黄金郷に鳴る青い鐘

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 慈覚大師開基の天台宗の名刹で、金色堂はじめ3,000余点の国宝や重要文化財を伝える、平安時代の美術工芸の宝庫です。寺伝によると850年、円仁(慈覚大師)が関山弘台寿院を開創したのが始まりとされ、その後859年に清和天皇から「中尊寺」の額を賜ったと言われています。しかし、円仁開山のことは、確かな史料や発掘調査の結果からは裏付けられず、実質的には12世紀初頭、奥州藤原氏の初代・藤原清衡が釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立したのが、中尊寺の創建と見られています。

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 本堂は、参道である月見坂を登った右手の中尊寺本坊内にあり、1909年の建築で2013年新本尊の丈六釈迦如来坐像の開眼法要が行われました。

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 覆堂(おおいどう)は、1962年金色堂の解体修理工事が始まるまでの約500年間、金色堂を風雨から守ってきた堂で、1964年に100メートルほど北西の現在地に移築され、建築年代は室町時代中頃と推定され、貴重な文化財や史跡等を風雨から保護するため、それらを覆うように建設された簡易な建築物です。

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 白山神社能舞台は、境内北方に位置する、中尊寺の鎮守・白山神社内に建ち1853年に仙台藩によって再建されたもので、近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとされ、日本の芸能史上貴重な遺構として、2003年に重要文化財に指定されています。

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撮影:2007.09.16

岩手県西磐井郡平泉町平泉
JR東北本線、平泉駅

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