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百寺巡礼(五木 寛之) ブログトップ
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山寺(立石寺)やまでら [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十一番

 一人の僧がもたらした千二百年の法灯

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 比叡山延暦寺の別院として、貞観2年慈覚大師・円仁が開山した天台宗の名刹で、本堂にあたる根本中堂には、伝教大使、最澄が中国から比叡山に持ち帰ったとされる灯が、開山時に分けられた後、一度も絶えることなく千年以上の時を超え、今なお灯り続けている「不滅の法灯」があります。

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 せみ塚は、芭蕉の句をしたためた短冊を納めた記念碑で、芭蕉が山寺を訪ねてから62年後山形県村山市の俳人壷中(こちゅう)らが1751年建立したのがこのせみ塚です。

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 奥之院は通称で、正しくは「如法堂」といい、慈覚大師が中国で持ち歩いていたとされる釈迦如来と多宝如来の両尊を御本尊とする如法堂は、参道の終点にあるので「奥之院」と呼ばれています。

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撮影:2009.04.27


山形県山形市山寺
JR仙山線・山寺駅

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四天王寺(してんのうじ)大阪 [百寺巡礼(五木 寛之)]

関西 第六十番

 すべてを包みこむ「和宗」の祈り

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 593年、物部守屋と蘇我馬子の合戦に勝利したことを受けて、聖徳太子が四天王を安置するために建立したと伝えられる、日本初の本格的な仏教寺院です。その伽藍配置は大陸の影響を色濃く受けた「四天王寺式伽藍配置」といわれるもので、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式です。

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 中門は中心伽藍の南端、南大門の北に位置し、脇の間に伽藍の守護神である金剛力士 (仁王像)をまつっていることから俗に仁王門 と呼ばれています。東側が那羅延金剛力士、西側が密迹金剛力士で、大仏師松久朋琳・宗琳両師の作です。

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 講堂は経典を講じたり法を説いたりする七堂伽藍の一つのお堂です。講堂内陣は中央を境に、東を冬堂、西を夏堂と呼びます。冬堂には現世の人々の悩みや、苦しみを救う十一面観世音菩薩、夏堂には来世極楽に人々を導く丈六阿彌陀如来をお祀りしています。つまり、現世と来世の二世に亘り、人々を安楽へ導き給うようにとの願いが講堂には込められ、内壁には、郷倉千靭画伯による仏教東漸が描かれています。

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撮影:2012.10.25

大阪府大阪市天王寺区四天王寺
地下鉄谷町線、四天王寺前夕陽ヶ丘駅

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大念仏寺(だいねんぶつじ)大阪 [百寺巡礼(五木 寛之)]

関西 第五十九番

衆生のもとへ歩み寄る本尊

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 大念佛寺の開祖 良忍上人は、京都大原の来迎院・浄蓮華院を創建した方で、1117年阿弥陀如来から偈文(げもん)を授かり、融通念佛宗を創始しました。融通念佛宗の教えのひとつは、「一人の念仏が万人の念仏に通じ、自他の念仏が相互に融通して大きな力となる」というもの。これは、一人ひとりが個性を発揮して自分の力を尽くし、互いに個を生かし合うことで、調和のとれた世界を現出しようということであり、二十一世紀のキーワードである「共生」「共助」の考え方とも通じます。

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 五月一日から五日まで、多くの参詣者のもとで行われる「万部(まんぶ)おねり」は、大念佛寺の中で最大の伝統行事として知られています。僧侶たちが声明を唱え、雅楽が奏でる中、二十五菩薩を従えた阿弥陀仏のお迎えで極楽浄土へ往生するという、来迎図さながらのお練り供養が繰り広げられます。

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撮影:2015.04.06

大阪府大阪市平野区平野
JR大和路線、平野駅

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亀山本徳寺(かめやまほんとくじ) [百寺巡礼(五木 寛之)]

関西 第五十八番

往時の宗教都市の面影が生きる寺

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 本願寺8代目の宗主で中興の祖蓮如上人を開基とする浄土真宗本願寺派の寺で、2万平方mの境内に本堂・大広間蓮如堂・書院・庫裡など26棟もの建物が残り、西本願寺から移設された本堂の柱には新撰組が屯所として使っていた頃の刀傷が残つています。

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 本徳寺の本堂が京都の本願寺の北集会所としてあったころ、実際の新撰組によって占拠された史実が裏付けられており、「新撰組」のロケには最適であろう。「軍師官兵衛」も英賀門徒の攻防や石山本願寺の見立てで石山合戦が撮影されており、共に播州の真宗史とも深い関係がある。このような利用のされ方は、歴史的遺産の新たな活用として妥当な所で、最近は、姫路市も観光に注視した都市政策を進めており、旅行社によるロケ地巡りのツアーも組まれ、多くの来訪者が訪れているそうです。

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撮影:2012.12.17

ご参考 ロケや観光名所として
http://k-hontokuji.com/column/location-and-sightseeing/

兵庫県姫路市亀山
山陽電鉄 亀山駅

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鶴林寺(かくりんじ)加古川 [百寺巡礼(五木 寛之)]

関西 第五十七番

勇ましい聖徳太子と愛らしい聖観音

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 近畿地方に数多くある聖徳太子開基伝承をもつ寺院の1つで、太子建立七大寺の一つともいうが、創建の詳しい事情は不明です、平安時代建築の太子堂をはじめ、「あいたた観音」など多くの文化財を有し「西の法隆寺」とも称されている播磨地方有数の古寺です。

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 現在も主要な堂塔だけで16棟の大伽藍を有するが、鎌倉時代・室町時代には太子信仰の高まりもあって寺坊だけで30数箇坊以上を有する規模であり、寺領も2万5千石を有し、聖徳太子以来の法華経講讃の寺として繁栄し、戦国時代には近隣の書写山圓教寺が戦火に巻き込まれるなどしたが、姫路領主だった黒田職隆、黒田孝高親子の説得で織田信長派となり戦に巻き込まれず、当時の建築物が多数現存しています。

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 国宝の本堂は、入母屋造、本瓦葺き。堂内の宮殿(くうでん、厨子)の棟札銘から1397年の建築とわかり、内部の宮殿には秘仏の薬師三尊像と二天像を安置しています。

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 太子堂(国宝)は、本堂の手前右方に建ち、堂内には壁画の聖徳太子像があることから太子堂と呼ばれていますが、元来は「法華堂」と称された堂で、本堂手前左方に建つ常行堂と対をなしています。屋根板の鎌倉時代の墨書から1112年の建築と分かり、堂内には本尊釈迦三尊像を安置しています。

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撮影:2012.12.17

兵庫県加古川市加古川町
JR加古川駅

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善光寺(ぜんこうじ)長野 [百寺巡礼(五木 寛之)]

関東・信州 第五十番

 濁る川に生きる覚悟をする寺

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 信州善光寺は、一光三尊阿弥陀如来様を御本尊として、創建以来約千四百年の長きに亘り、阿弥陀如来様との結縁の場として、民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ています。本堂は仏堂の前面に長大な礼堂を配した撞木造と呼ばれる独特の構造を持ち、東日本最大の規模を誇る江戸中期仏教建築の傑作で、善光寺聖の勧進や出開帳などによって、江戸時代末には「一生に一度は善光寺詣り」と言われるようになって、より多くの参拝者が訪れます。

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 仁王門は1752年に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、現在のものは1918年に再建され、この門には善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。

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 善光寺山門は、1750年に建立されて以来、大勢の参詣者を本堂に迎え入れてきた歴史ある門で、修復完了を記念し、約40年にわたって中断されていた二階への登楼参拝を、2008年から再開いしています。

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撮影:2012.04.15

JR信越本線、長野駅
長野県長野市元善町

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久遠寺(くおんじ)山梨 [百寺巡礼(五木 寛之)]

関東・信州 第四十九番

 情にあつく、さびしがり屋の日蓮像

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 鎌倉時代(1274年)に日蓮聖人が身延山へ入り「法華経」の読誦と門弟たちへの教導に終始した日蓮宗の総本山で、しだれ桜は全国的にも有名です。伽藍は明治8年の大火で焼失し、現在立ち並ぶ堂宇は再建されたものが多いそうです。

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 本堂は1985年落慶、本尊は日蓮聖人真筆大曼荼羅本尊を木造形式にしたいわゆる立体曼荼羅で、釈迦如来像・多宝如来像・四菩薩像・不動明王像・愛染明王像・四天王像・普賢菩薩像・文殊師利菩薩像・日蓮大聖人坐像などからなっています。作者は日蓮大聖人坐像を除き慶派の流れをくむ江里宗平・江里康慧親子です。

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 現在の五重塔は3代目で2008年竣工で2009年に落慶法要が行われました。初代の塔は1619年加賀前田利家の側室寿福院の建立でしたが1829年に焼失、2代目の塔は1875年焼失。

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 有名な久遠寺の枝垂れ桜は毎年3月下旬~4月上旬にかけ境内に樹齢400年ともいわれる枝垂桜と久遠寺周辺数百本の桜が咲き乱れます。

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撮影:2012.04.14

山梨県南巨摩郡身延町
JR身延線、身延駅

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高徳院(こうとくいん)鎌倉大仏 [百寺巡礼(五木 寛之)]

関東・信州 第四十八番

 多くの謎と武士の祈りを秘めた大仏

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 鎌倉大仏として名高い高徳院の本尊 国宝銅造阿弥陀如来坐像は、高さは11.31m(台座を含めると13.35m)、重量約121tあり、現在の金鋼仏は1252年に鋳造が始められ、完成当時は全身に金箔が施され、大仏殿内に安置されていましたが、大仏殿は台風や大津波のため倒壊し、室町時代の末までには、今の「露坐の大仏」になりました。

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 角張った平面的な面相、猫背気味の姿勢、体部に比して頭部が大きい点など、鎌倉期に流行した「宋風」の仏像の特色を示しており、鎌倉時代を代表する仏教彫刻として国宝に指定されています。

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 鉛の比率が高いことから、像表面に鍍金(金メッキ)を行うことは困難であったと推定され、造像当初は表面に金箔を貼っていたとされており、現在でも右頬に金箔の跡が確認できます。

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 後世の補修が甚大な奈良・東大寺の大仏と比べ、ほぼ造像当初の姿を保っている点も貴重である。浄土教信仰に基づく阿弥陀像が多く来迎印(右手を挙げ、左手を下げる)を結ぶのに対し、本像は膝上で両手を組む定印(じょういん)を結んでおり、真言ないし天台系の信仰に基づく阿弥陀像であることがわかります。

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撮影:2010.07.03

神奈川県鎌倉市長谷
江ノ電、長谷駅

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円覚寺(えんがくじ)鎌倉 [百寺巡礼(五木 寛之)]

関東・信州 第四十七番

 明治の文学者たちを癒した寺

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 鎌倉時代の1282年に、鎌倉幕府執権・北条時宗が元寇の戦没者追悼のため中国僧の無学祖元を招いて創建ました。北条得宗の祈祷寺となるなど、鎌倉時代を通じて北条氏に保護されます。三門(山門)は1785年、大用国師誠拙周樗が再建したものと言われ、「円覚興聖禅寺」の額字は伏見上皇の勅筆とされ、楼上には十一面観音、十六羅漢像などを安置しています。

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 仏殿は関東大震災で倒壊し、 1964年再建の鉄筋コンクリート造ですが、1573年の仏殿指図に基づいて建てられ、堂内には本尊の宝冠釈迦如来像や梵天・帝釈天像などを安置し、天井画の「白龍図」は前田青邨の監修で日本画家守屋多々志が描いたものです。

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 国宝の梵鐘は、仏殿東方の石段を上った小高い場所にある鐘楼に架かり、寺では「洪鐘」と書いて「おおがね」と読ませている。北条貞時の寄進によるもので、1301年鋳物師物部国光の制作で高さ2.6メートルを超える大作です。

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撮影:2014.10.16・2010.07.03

神奈川県鎌倉市山ノ内
JR横須賀線、北鎌倉駅

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建長寺(けんちょうじ)鎌倉 [百寺巡礼(五木 寛之)]

関東・信州 第四十六番

 中国層が武士に伝えた禅

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 日本では初めての禅寺で、1253年に座禅を修行する道場として開かれました。禅宗の中でも臨済宗で、この建長寺は臨済宗の建長寺派の総本山となっています。

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 山門(三門)は1775年の上棟で、棟梁は建長寺大工の河内長兵衛で下層はすべて吹き放しで、上層内部には宝冠釈迦如来像を中心に十六羅漢像、五百羅漢像(銅造)などが安置されていますが非公開です。

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 仏殿は芝(東京都港区)の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋(たまや)を建て替えに際し、譲渡されたもので、1647年に建長寺に移築されたものです。
もともと霊廟建築として造られたものであるので、屋根や天井などの形式が一般的な禅宗の仏殿とは異なり、屋根は入母屋造でなく寄棟造で、堂内には本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)、もとこの地にあった心平寺の旧本尊地蔵菩薩坐像、千体地蔵菩薩立像、千手観音坐像、伽藍神像などを安置しています。

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 法堂は禅宗以外の寺院の「講堂」に相当する建物で、入母屋造、方三間、裳階(もこし)付き、銅板葺きで、1814年の上棟、1825年の竣工、内部には身舎・裳階の境に柱が立つのみで間仕切りはなく、堂内中央奥に高さ2メートルを超える法座を設け、その奥に本尊千手観音坐像を安置し、天井の雲龍図は、鏡天井に直接描かれたものではなく、別に制作された絵を掲げたもので、鎌倉最大級の木造建築で2005年に重要文化財に指定されています。

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 唐門は重要文化財で方丈入口の門や仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築されたものです。

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撮影:2010.02.06・2014.10.30

神奈川県鎌倉市山ノ内
JR横須賀線北鎌倉駅

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