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旧工藤家住宅 (南部の曲屋) [日本民家園]

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 工藤家住宅の旧所在地は岩手県紫波郡紫波町で、盛岡を中心とする特異な民家形式(南部の曲屋)で、L字型の平面を持ち突出した土間の先端にウマヤを置く、北国の民家のもので春の短い東北地方北部では、農耕のために馬の健康状態を常に把握できるようにしています。

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 建物の外周は土壁だが、内部間仕切には板壁を使いどの間仕切も内法より上には壁がないので、家全体がひとつながりの空間のようです。

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 工藤家住宅は当初から曲屋として建てられたものとしては最古の部類に属するもので、また外観や間取りにも古式を残していて、曲屋の発生と展開を考えるうえでたいへん貴重な遺構でです。

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船越の舞台(三重県の漁村に有った舞台) [日本民家園]

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 船越の舞台は、三重県の英虞郡船越村(現志摩郡大王町船越)の船越神社境内に建てられた歌舞伎舞台で、船越村は志摩半島の南端、複雑な海岸線を持つ英虞湾の奥に天然の良港を抱く、典型的な漁村で地芝居や買芝居を演じるためのこうした舞台は幕末期から明治にかけて多く造られましたが、船越のような漁村の舞台は珍しいそうです。

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 舞台は妻を正面に見せた入母屋造で、大棟の端部には鰭に籠彫様の菊水の文様をあしらった見事な鬼瓦を乗せる。出語りは、右手の太夫座は唐破風、左手の花座はそれより簡素なむくり破風の切妻屋根を付け、ともに細かい出格子窓を設ける。この出語りの存在が舞台に華やいだ雰囲気を添えるのに大いに役立っています。船越の舞台は村方の歌舞伎舞台としては規模・内容ともに充実しており、またその由緒等も明らかな貴重な民俗文化財です。

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 舞台はこの種の建築としてはかなり規模が大きく、設備も整って、間口6間、奥行5間とかなり広く、中央には直径5.4mの回り舞台を備え、舞台下の奈落には舞台回しのための装置が設けられています。

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  船越神社の祭礼は毎年旧の6月14日で、その前後の13日から15日にかけて、氏神様に芝居を奉納するのが慣例となっていて、そのために用意されたのがこの舞台で、現在のものは1857年の建立です。

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蚕影山祠堂(こかげさんしどう)/旧岩澤家住宅 [日本民家園]

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 蚕影山祠堂は、1863年の再興で川崎市麻生区の東光院境内にあったもので、養蚕神を祭った宮殿(くうでん)と、その覆堂(さやどう)から成っています。養蚕がすたれ東光院の住職や講の人たち全員の許可を取り民家園に移築されることになります。

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 宮殿の側面に 「金色姫伝説」 を表現した彫刻があり、金色姫は天竺(現在のインド)に生まれ、四度の大苦難ののち、馬鳴菩薩の化身として日本に養蚕を伝えたという。この彫刻は養蚕の起源を説くもので、四度の大苦難は、蚕の四回の休眠(食事をせず動かなくなる脱皮前の時期)を象徴しています。旧暦2月23日に祭りがあって、その期間、民家園ではこの祭りを再現する展示を行っているそうで、マユダンゴを持ち寄ってお堂の格子戸へ吊るしているようです。

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 岩澤家住宅の旧所在地は丹沢山塊東麓の山あいの地、神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷で、相模川の支流・小鮎川の段丘上に立地し、名主も勤めた家柄という。

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旧伊藤家住宅(いとうけじゅうたく)マグロの尾が魔除け [日本民家園]

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 伊藤家住宅は多摩丘陵南西部の橘樹郡金程村(川崎市麻生区金程)の農家で、江戸時代には名主を勤めたと伝える。入母屋造の草葺屋根で、古民家特有の閉鎖的なたたずまいを見せる。

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 入口の横木の上に大きなマグロの尾が戦国武将の兜のように飾り、水の生き物である魚の一部を飾ることで火難を避けるという魔除けの意味があるらしい。中に入ると、土間、広間があり、その奥に座敷があるというごく普通の造りで、広間が板ではなく竹すのこで作られています。

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 窓には格子が入り、こうした形式を当地方ではシシマドまたはサマと呼んでいたようである。

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旧北村家住宅(きたむらけじゅうたく)大工の名前まで分かる住宅 [日本民家園]

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 建築年代が明確で建築としても優れている民家の一つ、北村家住宅の旧所在地は大住郡鍛冶谷村(神奈川県秦野市)で、名主の分家と伝えています。解体移築の際に柱より墨書銘が発見され1687年の建築であることが判明します。墨書には「貞享四年□月吉日 相州堀山下村 大工者鍛冶谷村理兵衛 平沢村源兵衛」「当村木引七兵衛」「貞享四年丁卯二月吉日 大工当流理兵衛」とあります。

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 建築を手掛けたのも同村及び近在の大工であり、こうした面からも当地方民家の代表例とするにふさわしい、右手大戸口を入ると土間、左手に床上部は広間型三間取りで、手前の広間には、押し板や納戸構えが付き、床は竹スノコと奥の炊事場の板の間を使い分けて、奥には床の間が付く座敷、隣の部屋が寝室で押入れを備え、広間と奥の前に濡れ縁が付いています。

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旧太田家住宅(家の中に雨どいある家) [日本民家園]

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 国の重要文化財に指定されている住宅で、17世紀後期に母屋が、18世紀後期に土間が建てられ、それぞれに屋根がある分棟型民家で、農家の暮らしがあります。

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 棟方向を別にするふたつの屋根を接続して一軒の家を構成していることで、釜屋(土間)と居住部分に、別々に屋根をかける形式は八丈島や南西諸島などに多く分布しています。

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 太田家住宅の旧所在地は茨城県笠間市片庭で、近世初頭にはすでにこの地に居住し、また名主の家柄と伝える旧家です。

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旧広瀬家住宅(大菩薩峠下流、笛吹川東岸の農家) [日本民家園]

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 旧所在地は山梨県塩山市北方の大菩薩峠付近を源流とする、笛吹川の支流の東岸・上萩原中小沢で、切妻造の草葺屋根の民家が散在していました。なぜこの地方に早くからこうした形式の民家が出現したのかは今のところ不明です。

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 内部の作業空間である土間と、居間の間には何も仕切りがなく、居間の奥には板敷の3室が並びます。広瀬家は甲州型民家の最も古い遺構のひとつで、この地方の民家の発展過程をも知ることができる、貴重な建築です。

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旧作田家住宅(房総 鰯漁の網元)/沖永良部の高倉 [日本民家園]

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 江戸期の房総・九十九里浜は、干鰯(ほしか)が速効性の肥料として、江戸近郊の農家をはじめとして遠く四国や紀伊方面などでも珍重され、鰯漁の網元を勤めた家柄です。

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 作田家の間取りは、漁家とはいっても農家のそれとなんら変わるところがなく、移築前の形式にならって土間の妻側に3室の板敷のシモベヤが復原されているが、これらの部屋は漁具の置場や漁夫の寝場所として使用したというから、ここだけが漁家らしい特徴です。

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 この高倉は、もと奄美諸島の沖永良部島和泊にあった建物で、1間四方に丸柱を立てその上に茅葺屋根をのせて、珊瑚礁岩の礎石上に立つ丸柱はイジュという毒性のある木を用いています。

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合掌造りの民家(旧野原家住宅/旧山田住宅/旧江向家住宅) [日本民家園]

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 急勾配の大屋根は、手を合わせた形から合掌造と呼ばれ、2階3階は養蚕などに使われ、いろりの上の大きな棚は火の粉が上がるのを防ぐとともに、濡れた物の乾燥などに使いました。これらの民家は越中五箇山にありましたが、ダム工事の完成と共に湖底に沈むところを移築されました。

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 旧野原家住宅(きゅうのはらけじゅうたく)土間が狭いのは平野部の民家と異なって、屋内での農作業が少ない山間の農家に共通する特色で、土間とオエの境は中央部と背面半間を除いて、板壁によってしっかりと仕切られ冬の冷え込みのきつい山地農家ならではの構えです。

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 旧山田住宅は、18世紀初期の合掌造の農家で、床が高いことが挙げられ、これは加賀藩の賦課であった硝煙をつくるためと思われます。

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 旧江向家住宅(えむかいけじゅうたく)は、農家(組頭の家)で、五箇山地方の合掌造は岐阜県白川村のそれとは違って、純粋な切妻造ではく土間妻側の屋根に、ひさしを取り付けた形になっています。

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旧佐々木家住宅(きゅうささきけじゅうたく)東日本の上層農家 [日本民家園]

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 佐々木家住宅の旧所在地は八ヶ岳の東、千曲川の流れに沿った長野県南佐久郡八千穂村の山あいの高冷地で、決して豊かな土地柄ではなかったようです。

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 佐々木家は旧上畑村の名主を交替で勤める有力農家で、江戸時代後期の東日本の上層農家で多くみられる形式で、客座敷に付属する形で上便所や風呂場が設けられたのは、当家が名主という立場上、代官所の役人などを接客する機会が多かったことを示しています。

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 屋根は茅葺の寄棟造で、土間の妻側は兜造で、養蚕の盛んな地方に多くみられるが、佐久地方の兜は厩の上部を下男部屋などに用いるために中2階を設けています。

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