前川國男邸(東京都美術館をはじめ多くの建築物を設計) [小金井公園(江戸東京たてもの園)]
1942年に竣工した建築家前川國男の自邸で、戦時中建築資材が使用制限され、また、延べ床面積100㎡以上の住宅の建築が法律で禁止されるといった、非常に困難な状況のなかで建てられています。
前川國男(1905~1986)は、東京文化会館(1961)、東京都美術館(1975)をはじめ多くの建築物を設計し、日本の近代建築の発展に大きく貢献した建築家です。
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常盤台写真場(郊外住宅地常盤台に建てられた写真館) [小金井公園(江戸東京たてもの園)]
常盤台は、東武鉄道の住宅開発により分譲された住宅地で、現在の東武東上線ときわ台駅の開業を契機とするものだったそうです。写真館は、照明設備が発達していないころで、最も安定した照度を得るために、 2階の写場には北側からも光を採ることができるように摺りガラスがはめこまれています。残念ながら、コロナ対策のため2階は公開されていませんでした。
お店の応接間と居間が一枚のドアでつながっています、この頃のお風呂は木戸があったようです。
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旧自証院霊屋(徳川家光の側室であったお振の方を祀った霊廟) [小金井公園(江戸東京たてもの園)]
旧自証院霊屋は江戸幕府3代将軍徳川家光の側室であったお振の方を祀った霊廟で、1652年に市ヶ谷の自証寺の中に立てられていました。極彩色の木彫や飾り金具の装飾が施され、江戸時代初期の建築技術の粋を伝えるとともに、徳川家の権勢の一端を窺わせる建造物です。
霊屋が解体された1979年当時は、建物の風化が進み、彩色を失っており、ほとんど創建時の姿を留めていなかったが、1991年から赤外線撮影や顔料分析などを行い、創建当初の姿に戻し復元工事が行われ、この霊廟は「旧自証院霊屋」として江戸東京たてもの園内に移築保存されています。
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三井八郎右衛門邸(大戦後の三井財閥邸宅) [小金井公園(江戸東京たてもの園)]
日本近代史に三井財閥として名を残した三井同族十一家の総領家、三井八郎右衛門高公(たかきみ)の住宅で、戦後に麻布笄町に建築したものを、江戸東京たてもの園に移築しています。
三井八郎右衛門邸は中廊下式と呼ばれる形式で、1階は、南側に客間、食堂などの居住空間を配し、中廊下を境として北側に事務室、厨房、配膳室などのサービス空間をおいています。2階は、南側を夫婦の寝室とし、北側に階段室、便所、浴室および仏間を配しています。
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デ・ラランデ邸(今はカフェ「武蔵野茶房」として公開) [小金井公園(江戸東京たてもの園)]
東京都新宿区信濃町にあった気象学者・物理学者の北尾次郎の西洋式住宅を、1910年頃にドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデ氏が3階建てに増築しています。2013年に江戸東京たてもの園に移築復元され、カフェ「武蔵野茶房」として公開されています。
スレート葺きのマンサード屋根(腰折れ屋根)と下見板張りの外壁を持ち、建物は室内は残された古写真を基にデ・ラランデ居住時を想定した復元がされています。
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大川邸(田園調布の家) [小金井公園(江戸東京たてもの園)]
田園調布の家、大川邸は関東大震災後の1925年に、現在の大田区田園調布に建てられた住宅で、この家を建てたのは当時鉄道省の土木技師であった大川栄さんです。
創建当初は夫婦と子供2人、お手伝い1人の合計5人で住んで、 生活の様式は、大正時代の生活改善運動で理想とされた「椅子座」で考えられており、創建当時は全室洋間で建てられています。
照明器具は写真をもとに製作した複製品で、玄関ポーチのキツツキ形の玄関灯と、玄関ホールの照明は、創建当時のものだそうです。
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小寺醤油店(歴史を感じるレジや昔の缶詰) [小金井公園(江戸東京たてもの園)]
この建物は、大正期から港区白金で営業していた醤油店で、味噌や醤油、酒類を売っていましたが、現在は江戸東京たてもの園内に移築されています。
木製の歴史を感じるレジや昔の缶詰や酒瓶のデザイン、店内に飾られている看板などが時代を感じさせます。
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都電7500形の静態保存(渋谷駅前から須田町まで走ってました) [小金井公園(江戸東京たてもの園)]
渋谷駅前を起終点とし、新橋・浜町中ノ橋・(神田)須田町まで走っていた車両です。交通量にの急激な増加にともない、都電は荒川線を除いて1963から順次廃止されたそうです。
廃車後20年近くの間、荒川車庫で静態保存されその後、1999年に江戸東京たてもの園に移転され、同園の展示物として静態保存されています。車内には電源が引き込まれ、日没の早い冬の夕方には車内や方向幕に照明が点灯する姿を見ることができます。
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子宝湯(昭和の宮造り銭湯) [小金井公園(江戸東京たてもの園)]
子宝湯は1929年建築、足立区千住にあった宮造りの銭湯で石川県から気に入った職人を連れてきて造らせたといわれています。玄関には神社仏閣を思わせる大型の唐破風が乗っています。また、玄関の上には船に乗る七福神の精巧な彫刻が取り付けられ、浴室部分には大正から昭和にかけて東京の先進的な銭湯が取り入れたといわれるタイル絵がはめこまれています。
建物は建築当初を復元し、内部は昭和30年代の銭湯の様子を再現しています。
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ぬくもりと希望の空間「大銭湯展」 [小金井公園(江戸東京たてもの園)]
江戸時代に人々の憩いの場として発展し、時代とともに姿を変えながら今日まで続く東京の銭湯文化。その歴史をひもとき、銭湯が社会に果たした役割や変遷を紹介しています。
「ケロリンR」は内外薬品株式会社の登録商標で、内外薬品は富山めぐみ製薬に事業継承されています。
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