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Optio430画像(高千穂峡)たかちほきょう [ぶらり九州]

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 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井にある五ヶ瀬川にかかる峡谷で、国の名勝、天然記念物に指定されている 阿蘇カルデラをつくった火山活動によって、噴出した火砕流が、五ヶ瀬川の峡谷沿いに厚く流れ下った。 この火砕流堆積物が冷却固結し熔結凝灰岩となり、柱状節理が生じた。 熔結凝灰岩は磨食を受けやすいため、五ヶ瀬川の侵食によって再びV字峡谷となったものが高千穂峡である。HPより

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 高さ80m~100mにも達する断崖が7kmにわたり続いており、これを総称して五ヶ瀬川峡谷(高千穂峡)と呼ぶ。真名井の滝(まないのたき)は、高千穂峡の川幅が狭まった部分に流れ落ちる滝で、日本の滝百選の一つ。

宮崎県西臼杵郡高千穂町
JR延岡駅からバス

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Optio430画像(臼杵石仏)うすきせきぶつ [ぶらり九州]

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 古園石仏大日如来像に代表される臼杵石仏(磨崖仏)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われています。その規模と、数量において、また彫刻の質の高さにおいて、わが国を代表する石仏群であり、平成7年6月15日には磨崖仏では全国初、彫刻としても九州初の国宝に指定されました。HPより

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 その数は、60余体にもおよび、このうち59体が国宝となりました。 石仏群は4群に分かれ、地名によって、ホキ石仏第1群(堂ヶ迫石仏)、同第2群、山王山石仏、古園石仏と名づけられました。それぞれに、傑作秀作ぞろいであり、表情豊かな御仏の姿は、みる者の心にやすらぎをあたえてくれます。

大分県臼杵市
JR日豊本線、臼杵駅


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Optio430画像(耶馬溪)やばけい [ぶらり九州]

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 日本新三景選定100周年を迎えた「耶馬溪」、大分県最北部にある中津市から車で約20分の山国川中流域にある耶馬溪エリアは、本耶馬渓町・耶馬溪町・山国町の三つの町からなる。HPより

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 深耶馬溪にある「一目八景(ひとめはっけい)」をはじめとする紅葉はあまりにも有名だが、耶馬溪エリアには青の洞門や羅漢寺、耶馬渓橋、猿飛千壺峡など、自然や歴史に触れられるスポットも多く点在している。

大分県中津市本耶馬渓町
JR九州、中津駅からバス

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Optio430画像(青の洞門)あおのどうもん [ぶらり九州]

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 1750年に第1期工事が完成し、最終的に開通したのは1763年であった。諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚が、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれている。HPより

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 1764年に僧禅海(ぜんかい)が30年余りをかけてノミと槌だけで掘ったといわれる隧道で、その逸話は菊池寛の小説『恩讐の彼方に』のモデルとなった。

大分県中津市本耶馬渓町
JR九州、中津駅からバス

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戒壇院(かいだんいん) [ぶらり九州]

唐の名僧鑑真和上を招いて創建した「三大戒壇」の一つ。
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 戒壇院は観世音寺が完成してから15年後761年、日本三戒壇のひとつとして観世音寺の区域内に建立された。三戒壇とは奈良東大寺、下野薬師寺、それに観世音寺の戒壇院をいう。戒壇とは中央部に石で築いてある壇のことで、出家する者に対して、僧侶として守るべき戒律を授けるための儀式が行われる場所である。

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 我が国の戒律は聖武天皇の招請によって唐から来た鑑真和上によって伝えられたが、鑑真和上が奈良に到着した754年、東大寺に戒壇が設けられ、天皇はじめ多くの人に授戒したという。江戸時代に観世音寺から独立して現在では博多聖福寺の末寺となっている。

太宰府市観世音寺
(西鉄)太宰府線 西鉄五条駅

◆今週は、夏休みのためコメントは、お休みさせていただきます。
次回の記事は、2010年に撮影した「北陸から山陰ぶらり旅」をお送りします。

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観世音寺(かんぜおんじ) [ぶらり九州]

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日本最古の梵鐘がある「西日本随一の寺院」

 『源氏物語』にも登場する観世音寺は、天智天皇が、母君斉明天皇の冥福を祈るために発願されたもので、80年後の聖武天皇の746年に完成した。古くは九州の寺院の中心的存在で、たくさんのお堂が立ちならんでいたが、現在は江戸時代初めに再建された講堂と金堂の二堂があるのみである。HPより

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 この梵鐘は京都妙心寺の梵鐘と兄弟鐘といわれ、その古さに於いても優秀さに於いても正に日本一と称され、糟屋郡多々良で鋳造されたと伝えられている。榎社にいた菅原道真公の詩に「都府楼は纔(わず)かに瓦色を看る 観音寺は唯(ただ)鐘声を聴く」とあるのはこの鐘である。

太宰府市観世音寺
(西鉄)太宰府線 西鉄五条駅

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大宰府天満宮 [ぶらり九州]

 壱岐島から福岡に戻りました。
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 太宰府天満宮は、菅原道真(すがわらのみちざね)公の御墓所(ごぼしょ)の上にご社殿を造営し、その御神霊おみたまを永久にお祀りしている神社です。 「学問・至誠(しせい)・厄除けの神様」として、日本全国はもとより広く世のご崇敬を集め、年間に約700万人の参拝者が訪れています。HPより

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 道真公は、845年に京都でお生まれになりました。幼少期より学問の才能を発揮され、努力を重ねられることで、一流の学者・政治家・文人としてご活躍なさいました。 しかし、無実ながら政略により京都から大宰府に流され、903年、道真公はお住まいであった大宰府政庁の南館(現在の榎社)において、ご生涯を終えられました。門弟であった味酒安行うまさけ やすゆきが御亡骸を牛車に乗せて進んだところ、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、その地に埋葬されることとなりました。905年、御墓所の上に祀廟しびょうが創建され、919年には勅命により立派なご社殿が建立されました。 その後、道真公の無実が証明され、「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」という神様の御位を贈られ、「天神さま」と崇められるようになりました。

太宰府市宰府
西鉄、太宰府駅

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鬼の足跡 [ぶらり九州]

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 東シナ海に面して突き出した半島の先端である牧崎園地の中にポッカリ開いた大穴があり「鬼の足跡」と呼んでいます。この大穴は直径110mもあり洞窟で海と結ばれています。
この大穴は大鬼のデイが鯨をすくい捕るために踏ん張ってできた足跡。

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この牧崎一帯は平均30mの断崖になっており荒々しい海岸線の景観はダイナミックです。
まわりは天然の芝生におおわれており、とてもすがすがしいところです。

壱岐市郷ノ浦町

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猿岩 [ぶらり九州]

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 黒崎半島のさらに先端にある高さ45mの海蝕崖の玄武岩。そっぽを向いた猿にそっくりで、気まぐれな自然の造形に驚かされる。
壱岐島誕生の神話の中でこの島をおうみになったとき、流されてしまわれないように八本の柱を立てて繋いだ。その柱は折柱と呼ばれている。その八本の柱の一つが猿岩である。

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 猿岩展望所の売店裏の山道を少し登ると、砲台の巨大な穴を地上からも見ることができる。

壱岐市郷ノ浦町新田触

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左京鼻(さきょうばな) [ぶらり九州]

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 八幡半島のなだらかなスロープ状の草原を進むと、玄海灘に面して切り立った総延長約1kmにも及ぶダイナミックな海食崖に行き着く。ここの海食崖は玄武岩特有の柱状節理で、左京鼻の海中からは細い柱を束ねたような奇岩が突き出ている。壱岐島誕生神話の八本の柱の一つ「折柱」である。海鵜のおびただしいフンに覆われているが、遠目には無骨な玄武岩が化粧を施したように美しい。HPより

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 壱岐島誕生の神話によると、「壱岐の国は、生き島で、神様が海の中で、この島をお産みになったとき、流されてしまわないようにと、 八本の柱を立てて繋ぎました。その柱が、折れ残り、今も岩となって折柱(おればしら)として残っているのです。」と云われているそうだ。 その柱の一つがこの海の中から突き出た柱状節理の岩礁と云う事・・・・

壱岐市芦辺町

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