日の出(尾道水道) [ぶらり中国・四国]
千光寺山荘から、日の出が見れる展望台までは歩いて4~5分、雲はかかっていましたが日の出を見ることが出来ました。
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尾道水道は、本州と向島に挟まれた東西に長い幅約200から300メートルの狭隘部の呼称で、古くから瀬戸内航路の主要商港として機能しています。
広島県尾道市
JR山陽本線尾道駅
JR山陽本線尾道駅
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海龍寺(かいりゅうじ)尾道 [ぶらり中国・四国]
海龍寺は、尾道水道を見渡せる寺社の中で一番東側に位置しています。
1307年に大本山浄土寺の塔頭となりましたが1347年に炎上後直ちに再建され、江戸時代の1662年に寺の名を海龍寺と改めました。
1307年に大本山浄土寺の塔頭となりましたが1347年に炎上後直ちに再建され、江戸時代の1662年に寺の名を海龍寺と改めました。
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山門を入った右側の奥には江戸時代の人形浄瑠璃家「文楽」「竹本弥太夫」の墓があり、海龍寺では芸術や創作活動の上達祈願にご利益があるとされています。
広島県尾道市東久保町
JR山陽本線尾道駅
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浄土寺(じょうどじ)尾道 [ぶらり中国・四国]
山門を入ると正面に本堂、その右手に阿弥陀堂と多宝塔が建つ、これらの中世仏教建築群に対し、境内西側には方丈、庫裏及び客殿など、僧の生活空間である近世建築群があり、庭園や茶室(露滴庵)もある。近世以前の寺院景観を良好に残す境内地は、本堂とともに国宝に指定されている。
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616年聖徳太子が開いたとも伝えられる、この寺が文書等にあらわれるのは鎌倉時代中ごろからのことで、鎌倉時代の初めには堂塔を守る人さえないという惨状だったが、鎌倉時代後期に真言律宗系の僧で叡尊の弟子・定証によって中興された。その後、1325年に焼失したが、尾道の有徳人道蓮・道性夫妻によって復興された。現存する国宝の本堂・多宝塔、重要文化財の阿弥陀堂はこの時再興された建物である。
広島県尾道市東久保町
JR山陽本線尾道駅
JR山陽本線尾道駅
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明王院(みょうおういん)広島 [ぶらり中国・四国]
807年弘法大師の開基と伝えら、本堂は全体に和様、細部には唐様を用いた折衷様式で、この様式としては現存する最古の建物で、五重塔は、全国の国宝塔の中でも5番目の古さをもつ美しい塔であり、本堂と共に国宝に指定されています。
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五重塔は、南北朝時代1348年に建立された純和様の五重塔で、初層内部の四天柱、板壁などには極彩色の仏画や文様が描かれています、相輪の刻銘には、この塔が当時の繁栄した草戸千軒の経済力を背景に、ささやかな民衆の浄財を募って建立されたことが明記されています。
広島県福山市草戸町
JR山陽本線、福山駅からバス
JR山陽本線、福山駅からバス
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姫路城(ひめじじょう)後編 [ぶらり中国・四国]
5重6階の大天守と3つの小天守が渡櫓でつながり、幾重にも重なる屋根、千鳥破風や唐破風が、白漆喰総塗籠造の外装と相まって、華やかな構成美をつくっています。
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姫路城はその400年の歴史の中で、戦にまみえることなく、近代の戦災に遭うこともなかった、たぐいまれな城です。その結果天守や櫓、門などの保存状態が非常によいうえ、ほかに類例のない遺構も多く、極めて貴重な文化遺産となっています。
兵庫県姫路市本町
JR西日本、山陽新幹線・山陽本線、姫路駅
JR西日本、山陽新幹線・山陽本線、姫路駅
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姫路城(ひめじじょう)前編 [ぶらり中国・四国]
江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、主郭部を含む中堀の内側は「姫路城跡」として国の特別史跡に指定されている。また、ユネスコの世界遺産リストにも登録され、別名を白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)と呼ばれている。
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姫路護國神社(ひめじごこくじんじゃ)は、姫路城の中曲輪内にあり、兵庫県西部地区出身の戦没者56988柱を祀る。
兵庫県姫路市本町
JR西日本、山陽新幹線・山陽本線、姫路駅
JR西日本、山陽新幹線・山陽本線、姫路駅
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Optio430画像(秋芳洞)あきよしどう [ぶらり中国・四国]
秋吉台の山麓にある東洋屈指の大鍾乳洞で、洞口の高さ24m、横巾8mに達し、洞内の最も広いところが200m、天井の高いところが40m、最も高いところは80mに達しています。延長は約10kmといわれているが、一般観光ルートは約1kmまで、洞内の気温は四季を通じて17℃のため、快適に探勝できます。HPより
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洞奥の琴ヶ淵より洞口まで、約1kmにわたって地下川が流れ下っている。1990年前後の洞窟探検家による琴ヶ淵から奥への潜水調査の結果、東方約2.5kmにある葛ヶ穴まで連結し、総延長は約8,500mに達した。その後の探検によっても延長は伸びており、現在日本第4位にランクされています。
山口県美祢市秋芳町
JR山陽本線、新山口駅からバス
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Optio430画像(萩)菊屋家住宅 [ぶらり中国・四国]
今から400年前、 毛利輝元がが萩に移る時、従って来たのは家臣、武士だけでなく、多くの町人も従って来た。菊屋家は室町時代、山口に住む津守家という武士の身分であったが、武士を捨て町人になる。菊屋友味は関ヶ原の戦いの後、毛利輝元が深刻な財政難に見舞われたとき献金をするなど 毛利家とのつながりを持った。HPより
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菊屋家住宅は、萩藩きっての豪商で、幕府巡見使の宿の本陣であった菊屋家の住であり、母屋、本蔵、金蔵、米蔵などが国の重要文化財に指定されている。菊屋家住宅は日本最古に属する江戸時代初期の大型町屋です。
山口県萩市
JR山陰本線、萩駅
JR山陰本線、萩駅
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Optio430画像(高杉晋作誕生地・口羽家住宅) [ぶらり中国・四国]
高杉晋作誕生地(たかすぎしんさくたんじょうち)
幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地、現在は、南側半分が公開されており、産湯に使ったと伝えられる井戸や自作の句碑などがあります。晋作は、1839年に萩藩大組士、禄高200石 高杉小忠太の長男として生まれ、藩校明倫館に通う一方で松下村塾に通い、頭角を表し、久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称されました。1862年、外国に支配される清国を視察し危機感を抱いた晋作は、1863年に身分を問わない我が国初の軍事組織“奇兵隊”を結成。討幕戦を勝利へと導きましたが、胸の病が悪化し、下関・吉田に隠居。1867年 結核のため、27歳と8ヶ月という若さでこの世を去りました。HPより
幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地、現在は、南側半分が公開されており、産湯に使ったと伝えられる井戸や自作の句碑などがあります。晋作は、1839年に萩藩大組士、禄高200石 高杉小忠太の長男として生まれ、藩校明倫館に通う一方で松下村塾に通い、頭角を表し、久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称されました。1862年、外国に支配される清国を視察し危機感を抱いた晋作は、1863年に身分を問わない我が国初の軍事組織“奇兵隊”を結成。討幕戦を勝利へと導きましたが、胸の病が悪化し、下関・吉田に隠居。1867年 結核のため、27歳と8ヶ月という若さでこの世を去りました。HPより
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口羽家住宅(くちばけじゅうたく)
永代家老に次ぐ家柄の萩藩寄組士口羽家の住宅で、萩城下に残る上級武士の屋敷としては古く、かつ全国的にも比較的数の少ない武家屋敷の一遺例として貴重です。主屋と表門が国の重要文化財に指定されています。主屋は18世紀末から19世紀初め頃に建てられたものと思われ、切妻造り桟瓦葺きで、入母屋造りの突出部を付けています。表門は、白壁となまこ壁のコントラストが美しく、萩に現存するものとしては最も雄大な規模を有する長屋門で、入母屋造り本瓦葺きです。
永代家老に次ぐ家柄の萩藩寄組士口羽家の住宅で、萩城下に残る上級武士の屋敷としては古く、かつ全国的にも比較的数の少ない武家屋敷の一遺例として貴重です。主屋と表門が国の重要文化財に指定されています。主屋は18世紀末から19世紀初め頃に建てられたものと思われ、切妻造り桟瓦葺きで、入母屋造りの突出部を付けています。表門は、白壁となまこ壁のコントラストが美しく、萩に現存するものとしては最も雄大な規模を有する長屋門で、入母屋造り本瓦葺きです。
山口県萩市
JR山陰本線、萩駅
JR山陰本線、萩駅
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Optio430画像(萩城跡指月公園) [ぶらり中国・四国]
萩城は1604年に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれ、山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていました。本丸には高さ14.5mの五層の天守閣がありましたが、1874年に天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、旧本丸跡に歴代藩主を祀る志都岐山神社が創建された際、総面積約20万㎡の境内が指月公園として整備されました。 HPより
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万歳橋は、萩城本丸跡にある指月公園内の志都岐山神社前の庭池に架かる石橋です。橋は花崗岩で造られており、長さ4.05m、幅員3.15mの直橋で橋脚はなく、両岸の石垣の橋台に2本のアーチ式橋桁を渡し、その上に10箇の短冊石を横に並べています。
山口県萩市
JR山陰本線、萩駅
JR山陰本線、萩駅
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