寿福寺(じゅふくじ)北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔があります [ぶらり鎌倉]
このあたりは源頼朝の父、義朝の屋敷があったところと言われ、北条政子が頼朝の父、義朝の旧邸跡に明菴栄西を招いて創建、三代将軍実朝もしばしば訪れ最盛期には十数か所の塔頭を擁する大寺であったという、現在は中門の手前まで入ることができます。
北条政子の墓
源実朝の墓
画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・
神奈川県鎌倉市扇ヶ谷
JR横須賀線、鎌倉駅
JR横須賀線、鎌倉駅
亀ヶ谷坂(かめがやつざか)北鎌倉駅から英勝寺に向かって歩く [ぶらり鎌倉]
源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉に幕府を開いた大きな理由は、南は海に北東西は山に囲まれ敵の侵入を防ぎやすい地形だったからと言われ、そこで物資運搬にために山などと切り開いて造った道が切通しです。亀ヶ谷坂は鎌倉7つ口と呼ばれる7か所の切通しの一つで扇ヶ谷と山ノ内を結ぶ急坂で、先は武蔵の国に通じる道だったそうです。
亀ヶ谷坂の六地蔵は、亀ヶ谷坂のピークあたりにやぐらっぽくなっているところがあり、1つの岩に六地蔵が彫り込まれているもので、あまり見かけないタイプの六地蔵です。
岩船地蔵堂(いわふねじぞうどう)は、鎌倉市扇ガ谷3丁目にあるお堂で、源頼朝の長女・大姫(おおひめ)を供養する岩舟地蔵尊が祀られてた地蔵堂と伝わり、江戸時代初期の1691年に、地蔵堂ができたそうです。
智岸寺稲荷(ちがんじいなり)は岩を削ったスペースに小祠がある、一風変わった作りとなっています。かつてこの場所にあった智岸寺にあったとされる稲荷社だったため、智岸寺稲荷と呼ばれているそうです。
画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・
神奈川県鎌倉市扇ヶ谷
JR横須賀線、北鎌倉駅
JR横須賀線、北鎌倉駅
英勝寺(えいしょうじ)徳川家光が寄進した運慶作の本尊 [ぶらり鎌倉]
英勝寺は、1636年に徳川家康の側室であるお勝の方(後の英勝院)によって創建された寺院で、鎌倉唯一の尼寺として有名です。明治維新までは代々水戸家の姫が住職を務めてきたため、「水戸御殿」や「水戸の尼寺」などと呼ばれることもあったそうです。
仏殿は1636年に英勝院によって建立され、1643年に徳川頼房が英勝院の一周忌のために改築して現在の姿になります。堂内には、徳川家光が寄進した運慶作の本尊・阿弥陀三尊立像が安置されています。
鐘楼は総門と同様に英勝院の一周忌のために1643年に建立された。鎌倉では英勝寺にしかない袴腰造の珍しい様式で、県の重要文化財に指定されています。
竹林は境内の奥にある小さな門をくぐると、遊歩道が広がっています。
画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・
神奈川県鎌倉市扇ガ谷
JR横須賀線、鎌倉駅
JR横須賀線、鎌倉駅
海蔵寺(かいぞうじ)境内では、アジサイ・ハナショウブ・イワタバコの花が咲いていました。 [ぶらり鎌倉]
鎌倉時代の七堂伽藍が焼失した後、1394年に鎌倉公方足利氏満の命により、上杉氏定が心昭空外を招いて再建。 薬師堂は1776年に浄智寺から移したもので、薬師像の顔を胎内に納めた薬師如来像(別名啼薬師)が祀られています。
底脱の井(そこぬけのい)は 寺の入口にあり、鎌倉十井(じっせい)の一とされています。安達泰盛の娘千代能が「千代能がいただく桶の底ぬけて水たまらねは月もやどらず」が詠んだことが由来と伝えられています。
画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・
撮影:2022.6.7
神奈川県鎌倉市扇ガ谷
JR横須賀線、鎌倉駅
JR横須賀線、鎌倉駅
明月院 本堂後庭園(はなしょうぶ) [ぶらり鎌倉]
本堂 後庭園では別料金で、花菖蒲をゆっくり見ることが出来ました。
本堂「悟りの窓」の向こう側が花菖蒲のある後庭園で、庭園の中に入ると青い苔と奥に花菖蒲が見える美しい庭園が広がっていました。
昭和の初期に使用されていた炭焼きの窯が庭園内にありました。
画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・
撮影:2022.6.7
神奈川県鎌倉市山ノ内
JR横須賀線、北鎌倉駅
JR横須賀線、北鎌倉駅
明月院(めいげついん)境内を埋める数千本のあじさい [ぶらり鎌倉]
あじさい寺として有名で、境内を埋める数千本のあじさいは明月院ブルーとも言われ、シーズンには多くの人が訪れます。
境内全域が国の史跡にも指定されている由緒あるお寺で、梅雨時には参道から本堂にかけて色鮮やかなあじさいが所狭しと咲き誇ります。
境内には鎌倉最大のやぐらといわれる「明月院やぐら」があり、上杉憲方の墓と伝わり壁面に釈迦如来 、多宝如来と思われる像が浮き彫りされています。基壇上部には十六羅漢と思われる浮き彫りも施されていることから「羅漢洞」とも呼ばれています。
画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・
神奈川県鎌倉市山ノ内
JR横須賀線、北鎌倉駅
JR横須賀線、北鎌倉駅
円覚寺 松嶺院(しょうれいいん)遍路みちで作家 開高健に出会えました [ぶらり鎌倉]
「遍路みち」が設定されていて、階段道を登る途中に円覚寺境内を見下ろせ普段は見ることのない、山門や仏殿の屋根が見渡せました、裏山は墓地になっていて、芥川賞作家 開高健、中山義秀、俳優佐田啓二、女優田中絹代さんなどの墓案内もあり、お参りしてきました。
画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・
神奈川県鎌倉市山ノ内
JR横須賀線、北鎌倉駅
JR横須賀線、北鎌倉駅
◆以前訪ねた 故・開高健氏の仕事場兼自宅の記念館
OptiosS4iで2006.8.26 撮影
今でも記念館は公開されています。
円覚寺 松嶺院(しょうれいいん)山野草の花の寺 [ぶらり鎌倉]
1535年頃に円覚寺第150世・叔悦禅懌(しゅくえつぜんえき)の塔所として建てられ、今は春から初夏、秋から初冬のみ一般公開をしているそうです。
ここ松嶺院にも多くの牡丹があるそうですが、訪問が6月でしたので間に合いませんでしたが、いろいろなアジサイの花を見ることが出来ました。
画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・
神奈川県鎌倉市山ノ内
JR横須賀線、北鎌倉駅
JR横須賀線、北鎌倉駅
名越切通(なごえきりどおし)鎌倉大町と逗子・三浦をつなぐかつての東海道の主要路 [ぶらり鎌倉]
鎌倉時代から残る古道で、かつて北条氏にとっては三浦半島の三浦氏が脅威であったため、三浦半島に続くこの道には「大切岸」のような防御機構の名残がのこっています。
道として地名が登場するのは、『吾妻鏡』の天福元年(1233年)に「名越坂」とあるのが最初で、すでにこの頃には主要な交通路であったことがうかがえます。
石廟(せきびょう)は、逗子市と鎌倉市大町の境にある名越切通にある鎌倉時代末期から南北朝時代に作られたと思われる石造の墳墓堂です。
画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・
神奈川県逗子市小坪、鎌倉市大町
JR横須賀線、逗子駅
JR横須賀線、逗子駅
報国寺(ほうこくじ)鎌倉(竹林の庭) [ぶらり鎌倉]
足利尊氏の祖父家時(いえとき)が開基、天岸慧広(てんがんえこう)の開山で、1334年の創建と伝えられていますが、上杉重兼(しげかね)が開基という説もあるようです。
洞窟のような墓地が有りますが、ここには足利家時をはじめとする足利一族が眠っているそうです。
報国寺といえばなんといっても「竹林」、本堂の裏には約2,000本もの孟宗竹が茂り、散策道の途中には休耕庵があり、竹林を眺めながら本格的な抹茶と干菓子を楽しむことができます。
画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・
神奈川県鎌倉市浄明寺
JR横須賀線鎌倉駅
JR横須賀線鎌倉駅