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恐山(おそれざん)日本三大霊場 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第七十番

 北の山に死者の霊が帰る

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 862年に慈覚大師によって開山され、天台宗の修験道場として栄えましたが、いったん廃寺となり、14世紀に曹洞宗円通寺によって再興されました。風車がカラカラと回り、荒々しい岩場の合間から硫黄の臭いが立ちこめる様子は地獄で、宇曽利山湖をとりまく白浜は極楽に見立てられています。

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 恐山へ向かう道にある太鼓橋は悪人には針の山に見えて渡れないと言われ、橋のたもとでは奪衣婆・懸衣翁が待ち構えいます。

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 恐山霊場地獄巡り、恐山菩提寺の本草安置殿の奥に恐山霊場があり、荒涼とした真っ白い世界の所々から硫黄の蒸気が噴き出し、至る所に小石が積まれた小山が点在しています。

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 東日本大震災犠牲者追悼の為、極楽浜に建てられた地蔵菩薩像の背面には大小数十の手形が彫られておりきっと故人と同じ大きさの手形もあるはずです。

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 宇曽利湖畔のその場所は極楽浜と呼ばれ、その鮮烈な美しさがかえって不気味さを感じさます。

画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・


撮影:2015.10.18

青森県むつ市田名部字宇曽利山
JR大湊線、下北駅

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長勝寺(ちょうしょうじ)津軽公のミイラ [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十九番

”じょっぱり”の地に立つ名刹

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 長勝寺は、津軽氏の祖である大浦光信の菩提を弔うため1528年に種里(鯵ケ沢町)に創建され、大浦城、堀越城、弘前城と大浦氏(津軽氏)の居城とともに移転し、現在地への移転は、弘前城築城に伴い城の南西に禅林三十三ヶ寺を移して長勝寺を惣禄としたことによります。

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 本堂は、1610年新たに造営され、庫裏くりは大浦城の台所を移築したとも伝えられています。

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 津軽家霊屋は長勝寺の境内のなかに、津軽藩藩主の津軽家の当主の霊屋が並んでいます。津軽家の祖で南部家から独立を果たした為信のものなど、豪華さはないけども立派な建物が5つあります。

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 津軽承祐公のミイラは墓地移転が行われた1954年に発掘されたが、発掘後空気に触れたためか徐々に腐敗が始まったため、永久保存処理を施して、長勝寺に1995年まで安置されていました。その後津軽家の要請により、火葬に付し墓地に収められたという、現在は承祐公のミイラの写真と、かつて収められていた棺を見ることができます。

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撮影:2015.10.17

青森県弘前市西茂森
JR弘前駅

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本山慈恩寺(じおんじ)東北屈指の巨刹 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十八番

 そこにあった信仰と新しい信仰

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 奈良時代天平年間に聖武天皇の勅命によって開基されたと伝えられている古刹で、江戸時代の寺領2800石余は東北随一で桃山様式、鎌倉様式などを残しています。

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 山門は1736年築造、3間1戸の楼門造で、入母屋造、八脚門で銅板葺。舞楽奏上の舞台とは山門から延びる渡り廊下によりつながり楽屋となっています。

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 本堂は1618年最上氏により築造、本尊木造弥勒菩薩、釈迦如来坐像、地蔵菩薩坐像、不動明王立像、降三世明王立像、木造騎獅文殊菩薩、木造騎象普賢菩薩、十羅刹女像、木造二天王立像、木造如来坐像及び両脇侍立像、木造如来立像、木造菩薩坐像、木造力士立像などを安置しています。

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 三重塔は、1608年築造されるも焼失、1830年に再建されています。

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撮影:2015.10.21

◆インターネットで拝観(Youtube)
本山慈恩寺 ~薬師三尊・十二神将 web拝観~

山形県寒河江市慈恩寺
JR左沢線、羽前高松駅

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白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)国宝 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十七番

 泥中の蓮の花のように

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 1160年徳姫という女性が発願し建立されたと伝わる御堂が国宝、堂内には、阿弥陀三尊、持国・多聞天王(国重文)が安置されています。現存する平安時代の阿弥陀堂が少ない中、浄土庭園も兼ね備えた、他に類を見ない御堂となつています。

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 阿弥陀堂は東・西・南の三方を池に囲まれ、正面に当たる南から中の島を経由して堂にいたる参拝道が設けられている。さらに北・東・西は山で囲まれており、阿弥陀堂を中心としたこれらの空間は平安時代末期に盛んだった浄土式庭園の様を成しています。

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 阿弥陀堂の内陣の須弥壇上には阿弥陀如来像を中心に、両脇侍の観音菩薩像と勢至菩薩像、ならびに二天像(持国天像、多聞天像)の5体の仏像が安置されています。

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撮影:2013.04.15

福島県いわき市内郷白水町
JR常磐線、内郷駅

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勝常寺(しょうじょうじ)大雪の中 [百寺巡礼(五木 寛之)]

東北 第六十六番

 庶民が慕った、最澄の好敵手

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 勝常寺は 807年、徳一によって開かれた東北を代表する古刹で、1200年の歴史と東北を代表する国宝及び国重要文化財があります。創立された当時は七堂伽藍が備わり、多くの附属屋、十二の坊舎、百余ヵ寺の子院を有する一大寺院であったと伝えられています。 仁王門には草鞋が奉納され、入ると右側に収蔵庫・経堂、左側に鐘楼、そして正面が薬師堂です。

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 徳一の創建とされる「会津五薬師」のうち中央薬師といわれる勝常寺の薬師如来と両脇侍は、仏都会津を象徴する仏像で、国宝に指定されていますが、訪れた時は拝観時期が終了していて次の開館は4月からと言うことでx、国宝の仏像には会うことが出来ませんでした。これだけ多くの平安初期の仏像が一ヶ所に保存されているのは我が国でも珍しく桜の咲くころにもう一度訪れて見たいところです。

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撮影:2015.02.13

福島県河沼郡湯川村
JR磐越西線、笈川駅

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